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2011年12月17日土曜日

「世界中萬事、以俗眼観、紛紛各異、以道眼観、種種是常」(菜根譚後集八七)

今日は精神修養。『菜根譚』に曰く:
世界中の万事は、俗眼を以て観れば、紛々各々異なるも、道眼を以て観れば、種々是れ常なり。何ぞ分別を煩わさん、何ぞ取捨を用いん。
そうなのだ。弱者を装ったイナカ利権集団のごり押しエゴイズムも、グローバルなウォール街の貪欲さも、すべてこれ人間の本性。いちいち目くじらを立てていてもしょうがない(とやっとわかった)。

あいつらには、近づかないのが一番だね。


2011年12月12日月曜日

「拙きを知らば、何ぞ、やがて退かざる」(徒然草 第134段)

中学の時以来の『徒然草』。はじめて全部通して読んだ。なかなかいいですよ。この世の中、がさがさ張り切る「信念の人」が多すぎ。カッコワルイばかりかみんなの迷惑。省事、省事。

2010年11月1日月曜日

「国の本たらざる農業は一顧の価値もない」(石黒忠篤)

今朝の日経で論説委員長の平田育夫氏がいいことを書いている:
守るだけの農政と決別を 乗れねば悲惨、TPP交渉 論説委員長 平田育夫 :日本経済新聞:

"農本主義者で、戦中に農相を務め「農政の神様」と呼ばれた石黒忠篤がこんな言葉を残している。

「農は国の本なるということは、決して農業の利益のみを主張する思想ではない。……国の本たらざる農業は一顧の価値もない」

現代の“農本主義者”も「国の本」が何か、よくよく考えてほしいものだ。"
この記事、熟読に値する。最近、日経記事への直リンクが禁止されてしまったので、敢えて記事全文を記録のために残しておく (Readmore 部分に):

引用:
守るだけの農政と決別を
乗れねば悲惨、TPP交渉 論説委員長 平田育夫

 この機会を逃せば永遠に後悔する。そんなときが人にも国家にもある。

 菅直人首相が目指す環太平洋経済連携協定(TPP)交渉への参加もその一つだろう。あまたの自由貿易圏構想のうち、日本にとってとりわけ重要である。

 だが――。「貿易自由化には反対」とパブロフの犬よろしく、農業関係者は早速、抵抗している。

 食料の安全保障は大切だ。だが農家を守るだけの農政は競争力を弱め、担い手を減らし、耕作放棄を促して破綻した。自由化に耐えられる強い農業をつくらなければ、日本人は永遠に後悔することになる。

 にわかに脚光を浴びるTPPの基はチリなど4カ国が始めた自由貿易協定だ。米、豪など5カ国が加わり今春に米主導で協定拡大・改定の交渉を開始。日本も無視できなくなった。

 無視できない理由はまず米国中心の大経済圏になり得ること。カナダ、韓国が関心を示し中国も情報収集に動く。日本も加わればEU(欧州連合)を上回る。

 東アジアでの中国の影響力拡大をけん制する効果もあろう。しかも既存の協定の拡大なので、早く、確実に実現する。

 また関税撤廃の例外品目を厳しく絞るほか、知的財産権保護なども含む中身の濃い協定となる。

 経済圏は非情なもの。そこに入れば関税がゼロになり輸出は伸びる。だが入らないと米国など参加国への輸出が関税分だけ不利になる。競争が厳しい自動車業界などは生産拠点を協定参加国に移すだろう。

 米政府は来年秋の交渉妥結を目指す。早く交渉に加わらないと、日本の主張を反映できない。

 この大事な時期に農林議員の対応は十年一日のごとし。慎重派与党議員110人が開いた勉強会では「国家存亡にかかわる」という政府批判も出た。むしろ協定不参加だと、国家存亡にかかわるのではないか。

 農家・農業対策を示せない菅内閣も問題である。

 民主党の農政方針はクルクル変わった。2001年の参院選公約と03年のマニフェスト(政権公約)では強制的な減反の廃止と、専業的農家に限った直接支払いをうたっていた。

 その通り実施すれば、コメなどの生産拡大による価格低下と農地の規模拡大が実現し、関税引き下げも可能になるはずだった。

 それが04年の参院選では直接支払いの対象農家を絞らないと変更。08年には減反の必要性を認める。こうして、減反を続けながら、小規模農家にも配る戸別所得補償案が生まれた。

 農家の票を重視する小沢一郎元幹事長の意向が強く働いたとみられている。

 コメに限らず、小規模農家などへの保護は手厚い。保護は財政支援(納税者負担)と関税(消費者負担)からなる。日本は特に関税による保護が大きい。

 農家保護を数値化すると関税による保護の割合は日本が88%とEUの45%の2倍近い。図のように高関税の品目も多く、貿易自由化の妨げになっている。

 「3白」と呼ぶ白い食物のコメ、砂糖、牛乳は生産者の力が特に強く、関税率に反映している。

政治力で高関税を維持するようでは、グローバル時代に生き残れない。せめて関税による保護から財政保護に変える必要がある。

 農水省元幹部の山下一仁・キヤノングローバル戦略研究所研究主幹は、日本で食べる短粒種の中国産米が値上がりし、日本米に近づいた事実に着目する。

 「今のような高関税の必要性は薄れている。農地の集約を促すような所得補償方式に変え、減反もやめれば、規模の大きな農家を中心に生産が増え価格が下がる。その結果、関税を撤廃できるだけでなく中国などにコメの輸出を増やせる」と解決の方向を示す。

 内外価格差が縮小してきた乳製品も同じような方法をとれるとみる。

 どんなに努力しても外国産にかなわない作物については、農家に転業を促す道もあろう。米国には政府が転業を助ける「貿易調整支援制度」がある。

 一時的に財政支出が膨らんでも、減反奨励金を廃止し、農業土木をさらに削れば、長い目でみてかなりの財源を手当てできる。

 農水省出身でTPP問題の調整役を務める平野達男内閣府副大臣は「農村の高齢化で後継者対策が必要な今は改革の好機だが(TPP参加に)1~2カ月で結論を出せるものではない。個人的には超党派で話し合うべきだと思う」と早期の議論開始を呼びかける。

 それでも来年春に統一地方選を控え、農林議員らの抵抗は続くのだろう。

 振り返れば自民党政権の時代も農家には深情けで、そのやり方も稚拙だった。ウルグアイ・ラウンド(多角的通商交渉)では6兆円強の対策費を温泉ランドや農道空港などに浪費し、競争力向上に役立たなかった。

 ひたすら農家に甘いだけの農政では農業の将来はないし、日本経済を窮地に追い込んでしまう。

 農本主義者で、戦中に農相を務め「農政の神様」と呼ばれた石黒忠篤がこんな言葉を残している。

 「農は国の本なるということは、決して農業の利益のみを主張する思想ではない。……国の本たらざる農業は一顧の価値もない」

 現代の“農本主義者”も「国の本」が何か、よくよく考えてほしいものだ。

2010年9月1日水曜日

「小沢さんは国民がカネ次第で動くことを知っているから……」(島田靖雄)

今朝の「eモーニング」で久しぶりに島田靖雄の話を聞いた。だから小沢さんは「ばらまきマニフェスト」に固執して徹底的にばらまく腹だという。現代日本の諸問題の根源は、こういう国民ばっかりになってしまった(いや、こういう国民しか政治的な力を持つことが出来なくなってしまった)と言うことにある。一部の「呉れ呉れ主義者」がニッポンを乗っ取ってしまったのだ。

ばらまき政治→カネを貰ったのが投票する→カネを撒いたのが当選する→更なるばらまき→呉れ呉れ主義者が蔓延る→ばらまき政治が蔓延る、という構図。

田中角栄が農村で始めた政治手法。これで農村が政治的経済的文化的に発言力を高め、実質的に日本を支配してしまった。ニッポンは投票は飲み食い次第という「農村ムラ社会」に回帰しつつあるのである。

小沢さんの件。政治で勝つためには手段を選ばないのは大いに結構。国民がその程度であるならそのレベルに合わせた政治手法をとらねばならない。しかし、小沢さんの問題は、そんなことまでして政治権力を握って、それから何をしたいのか、さっぱり見えないと言うこと。反米センチメンタルな発言ばかりが目立つが、小沢さんはニッポンの「呉れ呉れ体質」の是正も言っていたはず。ニッポンの「ばらまき体質」打破のために「ばらまき」をすると言うのは、ワルイ冗談である。

2010年6月26日土曜日

「腑に落ちないのは酒を売る人々のこと、このよきものを売って何に替えようとか?」(オマル・ハイヤーム)

ペルシャの大賢人のことば。人生はすべて「空」、一日一日を楽しむしかない、酒が一番だという。(『ルバイヤート』 (岩波文庫 赤 783-1)

おいらも全く同感だったが、遂に飲めなくなってしまった。

ドクターストップなんかは「屁のカッパ」なんだが(なんせもう20年前からいわれている)、今やアルコールを解毒できなくなってしまったみたい。血小板がこれだけ少なくなればしようがないか。人生お先真っ暗。

2010年6月18日金曜日

「第三の道」を第2の公共事業にするな……日経「大機小機」

そうなんだよな。日経はリンク禁止だから敢えて長めに引用:
「第三の道」を第2の公共事業にするな :日本経済新聞:
"しかし需要サイドを重視する際に留意すべきは、今の日本は新たな需要の受け皿となるべきインフラ産業や医療、農業など供給サイドで高コスト体質や非効率が目立つことである。こうした体質を温存したままで需要が膨らめば、国民の負担ばかりが増えてしまう恐れがある。

所信表明では新分野の成長を支える基盤となる「科学・技術」と「雇用・人材」を強化するとしているが、問題は官の関与が強い両分野も非効率・高コスト体質であり、見直しが求められることである。先ごろの独立行政法人の事業仕分けでも、国の科学技術政策そのものの抜本的な見直しの必要性が指摘された。

経済産業省が先日まとめた産業構造ビジョンについても同じ問題が指摘できる。同ビジョンは大変厳しい現状認識に立って日本の産業の進むべき方向を描いており、産業界からの評価も高い。ただ気になるのは、官と民との連携があまりにも強調されていることである。例えば日本がアジアのインフラ需要を取り込むにはシステム力、コスト競争力、官民の協調体制の構築などが欠かせないとしている。 しかし待ってほしい。高コストで過剰ともいえるほど品質にこだわり、製造業よりはるかにガラパゴス化している日本の公共事業が世界で通用するだろうか。政府の関与が強ければ高コスト体質は温存され、新陳代謝が遅れ、結局日本は勝てない。"

自分がやる仕事を「創出」することが「仕事」だと考えている人が多いから、無駄な仕事ばかり増えて、こういうことになる。

「生産性の回復」以外にはニッポン再生の道はない。こういうシンプルな原則に立ち戻るべきである。

2010年3月16日火曜日

農業化する日本経済 - 今日の一貫

日本の農業をずっと見てきた農業学者の大泉一貫先生は、いまのニッポン経済は農業化しつつあるという:
農業化する日本経済 - 今日の一貫: "日本経済はますます農業がたどった、縮小の道を歩もうとしている。"


同じく中南米経済をずっと見てきた人間(おいらのこと)は、ニッポン経済はアルゼンチン化しつつあるという。

どっちにしても、余り元気がでる話じゃない。やらねばならないことはとてもシンプルで誰もが分かっているのだが、それが政治的に出来ない。現状維持で利益を得られると思っている人口が票の大半を握っているからだ。

2010年2月11日木曜日

「儲からないからと言って働かないのではダメだ」(尾道の女将)

ちょっと所用があって、いつもなら絶対にやらないボラれるばかりの国内旅行を敢えてして、広島県の尾道に行ってきた。例によって町はとても不景気。商店街も夕方になったらほとんど閉店となる。ようやく晩にも開いているメシ屋を探しだし「尾道は晩が早いね〜」と嘆くと林芙美子のファンらしい女将が掲題のようなことを言った。けだし名言である。

女将曰く:
  1. みんな「働いても働いても儲からない」と言って働くことを止めてしまった。
  2. しかし少しでも長く店を開けているとその分確実にお客が来るのだ。それを儲からないと言って早く店を閉めてしまうから商店街全体のお客も減る。5万円でも10万円でも、とにかく稼ぐことが大事なのに、みんな低賃金の仕事を嫌うので、イナカで働いているのは外国人ばかりになってしまった。
  3. これではニッポンはいよいよ落ち目となる。
さすがは尾道での赤貧の生活を乗り越え大成功をおさめた林芙美子のファンだと感心した。でもこの女将は少数派。イナカでは誰もが「国からいくら貰えるか」ということばかり考えているように見える(尾道ではいろいろ実感してしまった。子細省略)。国のおカネとは、われわれ納税者のお金と次世代への繰り越し借金。

ギリシャの財政赤字はニッポンとは比べものにならないくらいに小さなものだが、政府が国の借金をナントカしようとして歳出削減に踏み切った途端、既得権層である公務員がいっせいにストライキを始め、国が成り立たなくなってしまい、一般国民は悲惨なことになっている。キリギリスの尻ぬぐいさせられる質実剛健のドイツ国民はお気の毒だ。

幸か不幸か、ニッポンでは国の借金の深刻さに対する国民の自覚が少ない。おかげで政府は借金を平気で膨らませ、国民はみんなハッピー。国債を買う銀行や郵貯にお金を預けている「普通の国民」とやらのほとんどがバラマキ行政の受益者であるイナカの既得権層であるため、国家財政の破綻などと言う言葉は「みんなが忘れたい」禁句となっている。でも、ある日突然、彼らがそれに気がつき自分たちの「私有財産の保全」に走った途端、ニッポンは崩壊するのである。おカネには国籍はないから日本人のおカネでも何処にでも逃げる。基本的なところでニッポンはギリシャみたいになりつつあるのである。

ちなみに尾道では朝も遅い。9時前に開店している店はほとんどないので、モーニングコーヒーを飲む喫茶店を探すにも苦労する。みんな、海運海事規制で食っておられた昔はよかった、規制を復活させたいという。「早寝、遅起き、国頼み」。普通の人は知らないだろうけど、ニッポンの海は規制だらけ。ようやく最近ほんの少しだけ「規制緩和」されつつあるので、こういうことになった。しかしニッポン人はまだまだ「規制」で食っている。人ごとではないのである。

2010年1月29日金曜日

加藤良三:日本の「反米」感情のかなりの部分は「反親米」にすぎない!

今朝の日経「経済教室」で加藤良三氏が書いておられることは、とても重い。生半可なものではない。外交に一生をかけた同氏のニッポン観の集大成と言っていいだろう。同氏は「『反米』や『離米』を唱える向きの多くは、実は日本国内の『親米・知米』への恨み、つらみを述べているにすぎない。一言で言えば、これは『反米』というより、むしろ『反親米』が複雑に絡まった『コンプレックス』の症状である」と喝破する。これは日米関係にだけ当てはまる視点ではない。この「親米・知米」を「合理主義」という言葉に置き換えるだけで、現代日本で行き詰まっているほとんどすべての政治・経済問題が説明できる。

「反親米」とは「反合理主義」。「合理主義」は客観的な尺度として数字(貨幣)を持ち出すので「反親米」は「反おカネ」さらに「反資本主義」、「反グローバリズム」となる。合理主義への対抗として「反親米」派が持ち出すのは「ニッポン的ムラ文化」。昔に戻れと言うことになるが、その昔の江戸時代とは、間引きと働かないサムライの不労所得に代表される退嬰的な社会に他ならない。

この「反親米(反合理主義)」派は最近勢いづいている。自分たちが「勝ち組」になったつもりでいるらしい。ニッポンはいよいよ落ち目。

加藤良三氏は「この『反親米』感情は日本人の『甘え』である。しかし米国はある日突然キレて日本との関係を断絶なんかはしない、ただ今後ゆっくりと且つ確実に日本との距離を広げていくだろう」という。同じ日経紙面で経済同友会の牛尾治朗氏が「(今の政治状況では)企業は黙って海外に工場を移していってしまう」と述べているが、その通りだ。合理主義者は、ゆっくり且つ黙って、活動の場を少しずつ日本以外に移していくのだろう。本人は物理的に日本に住んでいても、おカネはグローバルなのである。

2010年1月16日土曜日

「(教官は)どこまで学生の就職活動に関与する必要があるのか。その道のプロにまかせた方がいい」(山口大学教授、城下賢吾)

1月14日の日経「十字路」コラム。考えさせられた。象牙の塔で研究に専念するべき大学の先生たちは、自己投資を怠り就職する気もない学生の就職指導に多大の時間を無駄にしているという。

そもそも、あなたたち大学教授の職場を確保するために、田中角栄が全国津々浦々に「駅弁大学」を大量に作り、大学教育に不適格な学生達を大量に受け入れたのが諸悪の根源ではないのか(遠藤周作はフランスの大学に留学し「ニッポンには大学が何百とある」と自慢したら、先方の教授から「フランスではそんなもんは大学とは言わない」と返され憤慨していたが、フランスの大学教授の方が正しい)。納税者に多大の犠牲を払わすことになった駅弁大学の大量建設のおかげで、イナカの地主や土建屋は大儲けしたが、都市ではポストがなかった万年助手先生達も同時に大助かりしたはず。あまり天に唾するような発言は差し控えた方が良いと思う。

2010年1月14日木曜日

「地球から見れば、人間がいなくなるのが一番優しい」鳩山首相

「地球から見れば、人間がいなくなるのが一番優しい」鳩山首相 - MSN産経ニュース: "鳩山由紀夫首相は14日、首相官邸で開かれた温室効果ガスの25%削減に向けたイベントであいさつし、「地球から見れば、人間がいなくなるのが一番優しい自然に戻るんだという思いも分かる」と述べ、独特の世界観を披露した。"

ハトポッポ君的には、正しくって科学的な見解なんだろうが、それじゃ何で「子育て支援金」なんかを交付すると決めたんだろう? おいらは頭が悪いのでさっぱり分からん。

江戸時代の「間引き政策」にもどれというのかと思ったら、そうでもないらしい。子育て支援を続けるという。思うに、「ニッポン人は”産めよ増やせよ”政策でどんどん増えた方が良い、でも日本人以外の下等民族は減った方が良い」ということらしい。それじゃないと合理的に説明がつかない。ハトポッポ君はヒトラーなのか?

「アホウヨ」と「アホサヨ」はしょせん同根。戦前に近衛文麿が言ったとおりだ。アホ民主党に対峙するべき自民党は早々と「国粋主義路線」で行くという「アホウヨ迎合路線」を決めたという(産経新聞)。しょせん同じもん同士の対立軸でしかなくなったニッポン政治はどんどんドツボに陥りつつある。

2010年1月9日土曜日

「国債相場が暴落しないのは、消費税率を国際水準に合わせれば充分な税収が上がるという合意が市場関係者にあるからだ」(大竹文雄)

今日の日経一面インタビュー。目からウロコでした。おいらは古くさい年寄りなので最近の人は知らないのだが、この人(大竹文雄)は要チェックだな。twitter でも彼のつぶやきを入手できる

でも民主党ポピュリスト政権に消費税を上げる度胸が果たしてあるのかという問題はある。これ。でも愚民を買収すれば勝つ選挙さえ終われば、自民党も反対しないことだろうし、案外簡単に実現できるのではないか。「弱者」を詐称し、楽して政府からおカネ(都市貧民の税金)を貰って裕福な消費活動をしている農村既得権集団も、これでようやく税金を払うことになるのだ。そうなればニッポンは買いだな。

2010年1月8日金曜日

石原慎太郎:「派遣村の価値観は甘えている、どっかでけじめを付けないといけない」

慎太郎曰く:
石原知事「求職者は甘えている」 「生活保護受けた方が楽」 - 47NEWS(よんななニュース): "石原慎太郎東京都知事は18日、さいたま市で開かれた8都県市首脳会議で、東京・日比谷の「年越し派遣村」などの求職者について「とにかく就職世話しても、これも嫌だ、あれも嫌だ、要するに生活保護受けた方が楽だという、そういう価値観。甘えているところがある」などと発言した。"

NHKニュースでは、さらに「どっかでけじめを付けないといけない」と発言したという。

その通りだと思う。でもこれは「派遣村」ばかりの問題じゃないだろう。一層「けじめを付けなければいけない」のは、いま一世を風靡している「何とか戸別所得保障」とか言う制度化された既得権集団に対する「生活保護制度」ではないのか? 都市貧民は、現実に存在する可哀想な存在だ。一方、農村既得権集団は、決してホームレスにはならないし、飢え死にする危険はゼロ。彼らの方がよほど経済的にめぐまれた存在である。そのくせ、われわれ納税者からお金を貰うことだけを考えていて、現実にそれに成功を収めている。莫大なお金が彼らに払われているのだ。

充分おカネを持っている既得権集団を、都市貧民の犠牲の上で所得保障をしてさらに保護することこそが、ニッポン経済を歪曲してきてしまった。このツケを今みんなが払っている。彼らの方が、可哀想なホームレスより、よほど日本経済に害悪をもたらしている。慎太郎はこの辺をよく考えるべきだったと思う。

さっき、曙橋の駅で「ビッグイッシュー」を懸命に売っていたホームレスを見かけた。彼らの方が何とか既得権集団よりも、よほど真面目で一生懸命だ。彼らは、普通のノーミンとは違い、農地解放でただで貰った土地を親から受け継ぐことができなかったばかりに、農民既得権層に毟られ、ホームレスとなってしまったのだ。このままバラマキを続けていると、大都市サラリーマンも、しょせん同じ境遇に陥ることになる。

2010年1月1日金曜日

年の始めに「日々是好日」と「長生きリスク」を考える

おいらは年賀状は書かないのだが貰うと嬉しい。同級生に抹香臭い男がいて、毎年正月にはわれわれ凡人の精神修養のための言葉を送ってくれる。今年は中部経典131『日々是好日』。ネットで原文を見つけたので書き写さなくてもいいので楽。これ:
スリランカ寺関西 兵庫県伊丹市にあるテーラワーダ仏教のお寺: "「日々是好日」経  (中部経典131)

過去を追いゆくことなく また未来を願いゆくことなし
過去はすでに過ぎ去りしもの 未来はまだ来ぬものゆえに
現に存在している現象を その場その場で観察し
揺らぐことなく動じることなく 智者はそを修するがよい
今日こそ努め励むべきなり 誰が明日の死を知ろう
されば死の大軍に 我ら煩うことなし
昼夜に怠ることなく かように住み、励む
これまさに「日々是好日」と 寂静者なる牟尼は説く"

「過去はすでに過ぎ去りしもの、未来はまだ來ぬもの」という言葉は、いいですな〜。座右の銘にしよう。

でもやっぱし気になることがある。「過去に執着するな」というのはよい。しかし「未来に恐れをもつな」というのは、果たしてどうか。お釈迦様は「死を恐れるな」という風におっしゃっているようだが、おいら団塊の世代以上の高齢者が恐れているのは死ぬことではない。逆に長生きしすぎることが心配なのである。いわゆる「長生きリスク」として10年以上前から恐れられてきたことだが、いまだに有効な対処法がないのである。だから高齢者は倹約するしかない。高齢者はおカネを持っているはずだ、なぜ全部使わないのだとエライ評論家センセーたちは年寄りを非難されるが、平均寿命までに貯金を全部使い切ってしまった後で、不幸にも長生きすることになってしまったらどうするのか。その時はいさぎよく飢え死にしろと言うのも理屈ではあろうが、おいらはいやだ。

ところがフランスでは19世紀の段階で既にこのリスクへの金融的対処方法が、何らの余分の税金を使うことなく民間ベースで実現されていた。なぜニッポンでは無理なのかを考えてみる(面白いので「続きを読む」をクリックしてください)。

フランスの年金制度というのは面白い。バルザックなんか読むと詳しく分かるが、公的年金制度ではなく、数多くの民間年金システムが存在した。条件は「相対」で決まる。面白いのは年寄りが考えている自分の生存年数は普通の平均寿命より長いのが普通で(みんな自分だけは長生きすると思っているのだ)、年寄りに年金を売り付けるのがいい商売となる。でも一生一定のおカネが保障されるというのは安心感があり、おかげで19世紀末期のパリには「ランティエ」という巨大な年金生活者層が生まれ、彼らの生活パターンは一つの文化となった。安心があると年寄りもお金を使うのだ。しかしいまのニッポンでそんな安心感があるのは戸別所得保障制度がある農家ぐらいなもん。

モーパッサンにもこの種のお話しが出てくる。強欲な婆さんの家を、婆さんが生きているうちは毎月これだけ払うが死んだら家を貰うという条件で買ったのはいいけれど(今のリバースモーゲッジですな)、婆さんはなかなか死なない。困り果てた買い主は婆さんに酒をプレゼントし飲酒癖を植えつけ、うまいこと肝硬変で死なせることに成功しみんなハッピーになりましたとさ、というモーパッサン一流の「ノット・ポリティカリーコレクト」な小説である。

必要は発明の母であり19世紀フランスでは市場のニーズに沿った多くの「金融商品」が市場に提供されていたと言うことである。ところがいまのニッポンではこういった商品はきわめて限定されている。なぜか。銀行側や若い世代がリスクを取らないからだ。現在のリバースモーゲッジは超保守的な前提に立っているもので、おいらみたいな酒飲みで危険なスポーツが好きな人間は早く死ぬはずなのでもっと良い条件を提供しても貸し主は十分儲かると思うのだがそういうオファーは残念ながらない。みんな一緒に仲良く平等なシステムなのである。リスクを取らない資本主義は資本主義ではない。市場が機能していないという意味で、現代ニッポンの資本主義は19世紀フランスよりも程度が悪いのである。

年寄りに金を使わせようと思うなら、若い世代は果敢にリスクを取り年寄りをネタにして儲ける知恵を働かせるべきだと思う。アガサ・クリスティー流の相続目当ての殺人事件が多発することになるかも知れないが、そんなのもスリルがあって面白いではないか。

2009年12月17日木曜日

「沖縄にカジノを」(亀井静香)……この人もたまにはまともなことを言う!

このニュース:
asahi.com(朝日新聞社):亀井氏「沖縄にカジノ特区を」 雇用・所得増を期待 - 政治: "亀井静香金融相は17日、閣議後の会見で、沖縄の経済対策として「カジノ特区」の導入を訴え、「沖縄が総合レジャーの中心地になれば雇用の面、所得の面で大幅なアップが期待できる」と述べた。亀井氏は政府・与党内でも反対は少ないとしているが、前原誠司国土交通・沖縄担当相は地元の要望次第との立場で、実現可能性は不透明だ。"

でも実現は不透明というより、不可能だろうね。社民党のPTAおばさん連中が反対するから。

人は賭博の本能を持っている。資本主義の原動力でもある。それを無理に「規制」するから、それで食う犯罪組織が蔓延る。PTAおばさんが主張し、それに迎合して己の存在意義を主張したい優等生官僚たちが鉛筆舐めなめして作文した「規制」こそが、犯罪を作るのである。アメリカ20年代のギャングも「禁酒法」が生み出したものだ。外国人入国規制が不法滞在という「犯罪」を生み出しているのと同じ。

カジノがダメで、パチンコはいいというのは、理解不能。合法化すれば、少なくともショバ代は日本に留まる。

沖縄の人も、自分の食い扶持は自分で稼ぐことが出来るようになる。これこそ地方自治の精神。他の地方自治体も真剣に考えるべきだ。

2009年12月15日火曜日

映画「わらの犬」の題名は老子の言葉から来ていた!

エッヘン、散人はいま思うところがあって、山中湖の図書館で借りた本で老子さまの言葉を読んでいる。明治書院から『新釈漢文体系』という大部の書籍が出ているのだが、こういったものは図書館でないと読めない。老子の残した言葉はそれほど多くはないので、二三日もかければ全部読める(はず)。最初の方に妙に気になる文章が出てきた。これ:

天地不仁
以萬物為芻狗
聖人不仁
以百姓為芻狗

天地不仁
萬物を以て芻狗と為す
聖人不仁
百姓を以て芻狗と為す

解説によれば「芻狗」とは「藁の犬」の意味。祭祀に使用し儀式のときは崇められるが儀式が終わると道に捨てられてゴミとして扱われる。この文章の大意は、天地はいわゆる仁などという人間的な愛情は持っていない。天地は万物を使用すれば捨ててしまう藁の犬のように扱う。聖人も同じで、彼は万人に対して仁などという愛情を抱いているわけではなく、人が藁の犬に対するときのような態度で万民を扱う、といったものだそうだ。まさに「身も蓋のない」現実を描いている文章だと思うが、こういう虚無的な考え方って、いいな。

その後に日本の学者による浩瀚な解説が数ページにわたって続くのだが、そんなものは読み飛ばした方が面白い。それより「藁の犬」が気になった。

昔々見たアメリカ映画で、とてもショックを受けた映画があった。温和しい人も殺さないような学者が妻の生まれ故郷であるイギリスの田舎に越してくる。地元の無教養で暴力的なイナカモノとのトラブル。温和しい学者の旦那も、妻を強姦されたり、友人を殺されたりして遂に切れて、それから目を背けたくなるような暴力的復讐行為を開始する、というお話し。あれは映画史上最強の暴力映画ではなかったか。題名は「わらの犬」。

当時のおいらには映画のタイトルの意味は分からなかったが、今日老子を読んでいて、これはひょっとしてこの老子の言葉から來ているのではないか気がついた次第。さっそく調べてみた。そうだったんですね〜。これ:
わらの犬 - Wikipedia: "『わらの犬』(Straw Dogs)は、1971年度製作のアメリカ映画である。監督はサム・ペキンパー。日本では1972年4月公開。争いを好まない平和主義者が、周囲からの卑劣な仕打ちに耐えかねた挙句、内なる暴力性を爆発させてしまうという、ペキンパーの諸作品でも特に異彩を放つ問題作である。主演は『卒業』、『レインマン』の名優、ダスティン・ホフマン。タイトルは、『天と地は無常であり、無数の生き物をわらの犬として扱う。賢人は無情であり、人間たちをわらの犬として扱う』という老子の『語録』から引用したもの。わらの犬は、“護身のために焼く、取るに足らない物”という意味。"

今日は勉強できて、とても有意義な日となった。

それにしても、西欧人は老子とか荘子が好き。旧約聖書と似ている部分があり親近感を感ずるのだろう。それに対して、日本人と韓国人は孔子さまが好き。儒教の影響はいまだに強烈である。外国の、それも一つの宗派を、国家の原理としてしまった民族の悲しさでもある。

本家の中国人はどうかというと、どっちも信用していないみたいなところがあり、面白い。本家の余裕か。

2009年12月14日月曜日

「宮内庁長官は辞表出してから言うべき」(小沢一郎)

これは、正論だと思う:
小沢氏、宮内庁長官は「辞表出してから言うべき」特例会見問題で - MSN産経ニュース: "民主党の小沢一郎幹事長は14日の記者会見で、天皇陛下と中国の習近平副主席の会見をめぐり、政治利用にあたるのではないかとの懸念を表明した羽毛田信吾宮内庁長官について「内閣の一部局の一役人が内閣の方針についてどうこう言うなら、辞表を提出してから言うべきだ」と述べた。"

民主党のバラマキ政策にはうんざりしているが、これについてはその通りだと思う。ここにも書いた。

世の中には「虎の威を借りて」エラソーなことを言う小人が多いんだよな〜。手前の分限をわきまえるべきである。

これと同じような実例は、例示するとキリがない。政治的お題目となった「流行のスローガン」は「虎の威」となることが多いのだ。だから危険なのである。

2009年12月13日日曜日

『蜘蛛の糸』のカンダタもニュートン力学を知っておれば自分だけ助かった!

今朝の日経新聞を読んでいて思わず大笑いしたコラムがあった。最終ページにある歌人の小池光氏の「うたの動物記」。歌人がニュートン力学を語る。さらにお釈迦様が垂らした蜘蛛の糸をよじ登っていて自分だけが助かろうとして地獄に逆戻りしてしまったカンダタも、「うまくやれば」本当に自分だけ助かることが出来たと述べる。「ポリティカリー・ノット・コレクト度」100%。座蒲団三枚。あまりに面白いので要旨をご紹介。メモだね。

要旨:
芥川龍之介『蜘蛛の糸』。カンダタがお釈迦様が垂らしてくれた蜘蛛の糸にすがって地獄からの脱出を図る。振り返ると無数の亡者がわれもわれもとすがってくる。「この蜘蛛の糸は俺のものだ、下りろ、下りろ」と叫んだ瞬間、糸が切れて自分も地獄へ再転落してしまう、という誰もが知る話。

だがこのとき、掴んだ手の下のところで糸が切れればカンダタだけは助かった。ゆっくりと徐々に引けば手の上で切れ、一気に引くと下で切れる。ニュートンの慣性の法則の教えるところである。芥川はニュートンの法則を知っていたのかしら。


たぶん芥川龍之介は、ニュートン力学なんかには関心がなく、自分の「みんな一緒」哲学を強調したかったのであろう。芥川龍之介の考えは、「みんな一緒に極楽に行くことを考えるべきだ。自分だけ助かろうとする根性はさもしい。みんな一緒に極楽に行くのでなければ、みんな一緒に地獄に留まれ」というもの。考えてみれば、まことにニッポン的な「みんな一緒にお手々つないで仲良く楽しく」哲学ではないか。この哲学は昨今始まったものではないのである。

この芥川哲学は、みんな一緒に大国化し、みんな一緒に惨めになり、またみんな一緒に経済発展した昭和の時代には、確かな合理性を持ったものであった。でもいまからの時代はどうなんだろうね。

昨今の政治を見ていると、ニッポンは確実に「アルゼンチン化」しつつあると思う。第二次大戦前までは、世界一の生産性を誇ったの農業部門の存在のおかげで世界有数の豊かな国であったアルゼンチンも、稼ぎのある農業部門からオンブに抱っこの工業部門に所得を移転するというペロン以降のバラマキ・ポピュリズム政治のおかげで、稼ぎ手である農業部門は全くやる気と勢いをなくし、人のおカネに頼る工業部門はいつまで経っても発展途上のままで、結局国民は完全に生産意欲を失い、「政府からいくら貰えるか」ばかりを気にする国民に成り下がり、国は急速に衰退していった。「農業」と「工業」を置き換えると、全くいまのニッポンでそのものある。

苦しいときは「みんな一緒に堪え忍ぶ」というのは道徳的な意味もあるが、「みんな一緒に人からお金を貰うことばかり考える」というのは、道徳的堕落としかいいようがない。こんな「みんな一緒」からは、自分だけでも脱出を図るべきである。

そのためには「ニュートン力学」ばかりでなく、いろいろ勉強しておく必要があるね。

2009年11月4日水曜日

「地球環境対策では、国内メーカーは和牛生産者と同じ手法で儲ければいい」(小沢鋭仁環境大臣)

今晩のNHK「クロ現」。小沢鋭仁環境大臣の発言には、正直驚倒しましたです:
クローズアップ現代 NHK11月4日(水)放送 実現できるか? CO2削減25%:”野心的な中期目標は日本をどう変えるのか最前線を取材、新政権はマイナス要因をどう克服して低炭素社会を実現するのか、小沢鋭仁環境大臣に聞く。”

和牛は高くても安全でウマイと言う屁理屈で普通の牛肉の5倍以上の値段で売っている和牛生産者を見倣い、日本の製造メーカーも国民に「高尚な目的を説得し、高くてもいいから買って貰え」ということらしい。しかし国産和牛生産者のぼったくり商法には、もうみんな辟易している。世界に冠たる「日本の製造メーカー」をして、「ナショナリズム」を利用し消費者を騙してお情けで生き延びるだけの保護関税だよりの衰退産業になれと言うのか?呆れてものが言えなかった。

また、温暖化ガスを削減しないと地球は破滅してしまうとか言うその「高尚な目的」自体が、あやふやなのである。日本以外では徐々にそういったことにみんなが気がつきだしている。狂信的な思いこみ主義者が政治を支配すると、おまけにそれが時代錯誤の認識に基づいたものであれば、ろくなことはない。

2009年10月26日月曜日

「鳩山演説に熱狂する議員たちはまるでヒトラーユーゲントみたい」(谷垣禎一)

これは一応「名言」だと思う。鳩山演説には抽象的な総論が目立ったが、ニッポン人はよく抽象的な言葉に熱狂し、ヒステリーみたいになって踊るのである。戦前の歴史を見ればわかるし、酒井法子に対する国民のリンチ的感情を見てもわかる。これこそファシズムの始まり。谷垣は所詮負け犬だが、負け犬だけに世の中の流れをよく見ている。

誰にも反論できない「総論」をまずぶちあげ、法的拘束力を持たせ、その後で自分の都合のいい「各論」をどんどんやっていく。反対する人が現れれば「あんたたちはわたしの最初の総論に賛成していたではないか、これは決まったことだ」と言ってねじ伏せる。これはニッポンの農水族がノーソンへのバラマキと利益誘導を正当化するために戦後一貫した使ってきた常套手段だった。

鳩山由紀夫もそのへんを見て育ったからよく知ってるわ。

ニッポン人は時々抽象的な言葉に踊らされるという点について、塩野七生もいいことを言っている:
「安倍さんには芸がない。日本人は時々狂ったように抽象的なことを言い出す」(塩野七生、日経インタビュー)‥‥女史この他にも名言を大連発!